郵便はがきの誕生 郵便はじめて資料館

はじめての郵便はがきは二つ折りだった!

新郵便制度が開始されてから3年9ヶ月後の1873年(明治6年)12月1日、日本で最初の郵便はがきが発行されました。

薄手の紙を縦二つに折ったもので、現在の往復はがきの縦長型と考えていただくと分かりやすいと思います。面の周囲に紅色の子持唐草模様が手彫りで刷り込まれているため、俗に「紅枠はがき」と呼ばれます。

第1面には送り先の住所を書きます。第2面は無地、第3面は通信文の記載欄で5行の罫線が入っています。第4面は白紙で差出人の住所と氏名を書くことができました。
市内へ出す時は半銭、市外へは1銭の郵便切手が印刷してあるはがきを使用します。

ちなみに、前年の明治5年に開通した新橋・横浜間 29kmの下等運賃が37.5銭、白米10kgが約40銭でした。




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お年玉付年賀葉書の誕生

お年玉付き年賀葉書は、昭和24年12月1日に誕生しました。翌昭和25年用の年賀葉書として発売されました。

2円のお年玉付年賀葉書3,000万枚と1円の寄附金をつけた3円のお年玉付年賀葉書1億5,000万枚が発行されました。

郵便葉書にくじのお年玉を付け、さらに、寄附金1円は社会福祉事業に配分するという世界に類例のないこの画期的なアイデアのお年玉付年賀葉書制度を考案したのは、大阪の心斎橋で用品雑貨の会社を経営する林正治(当時42歳)さんでした。

林さんは、「終戦後、うちひしがれた状態の中で、通信が途絶えていました。年賀状が復活すればお互いの消息がわかるのにと思ったのが最初の発想です。それにクジのお年玉を付け、さらに寄附金を加えれば夢もあり、社会福祉のためにもなると考えたのです。」と、この案を考えたきっかけを「サンデー毎日」(昭和62年)の記事の中で述べています。

当時、郵政省では、疲弊して食べるものも食べられない時代にクジなんて、と時期尚早論が強かったのですが、紆余曲折を経た末に、むしろ、「このような時代だからこそ夢を与えるものが必要である。」という結論に達しました。

ここに、くじと寄付がついたお年玉付年賀葉書という、世界に類例のない画期的な制度が創設されました。




はじめてのお年玉はがき、特等賞品は ミシン!

■お年玉年賀はがき賞品の移り変わり
昭和25年(1950年)に発行されたはじめてのお年玉付年賀はがきの特等賞品は「ミシン」でした。
当時の「ミシン」は、会社員の初任給が3千円〜4千円という時に1万8千円という高価な物でした。

1等が「純毛洋服地」、 2等「学童用グローブ」、 3等「学童用コーモリ傘」、 4等「はがき入れ」、 5等「便せん封筒組合せ」、 6等「切手シート」 (2円×5枚)でした。


昭和30年代の特等は、電気洗濯機やタンス、8ミリ撮影機など

昭和40年代の1等(41年から特等がなくなりました)は、ポータブルテレビや8ミリ撮影機映写機セット、折りたたみ式自転車、ラジオ付きカセットテープレコーダーなど

昭和50年代、60年代は、折りたたみ自転車、コンパクトカメラ、カラーテレビ、電子レンジ、カメラ一体型ビデオなど

平成時代に入ると、海外旅行券、衛星放送受信回路内蔵型AVテレビ、液晶モニター付ビデオカメラ、電動駆動補助力付自転車、乾燥付洗濯機、デジタルビデオカメラ、カーナビゲーション、ノートパソコン、ホームシアターセットなど

このようにお年玉年賀はがきの賞品の移り変わりが、よくその時代を反映していることがわかります。




■年賀はがき寄附金のゆくえ
昭和24年(1949年)に発売された寄附金付き年賀はがきの寄付金は、中央共同募金委員会と日本赤十字募金委員会に贈られ、戦争で両親を亡くした子供達の施設や、死亡率が高かった結核撲滅などに大きく貢献しました。

最近では、高齢化社会を反映して、お年寄りの方々の施設充実のためなどの社会福祉や、特殊疾病の研究、原爆治療、交通事故防止、文化財の保護、がん検査・胃検診の車両、社会教育、スポーツ振興、地球環境保全等々の事業に寄附金の一部が使用されています。また、地震や水害時の救援物資にも使われています。
現在では、年賀寄附金の配分を希望する団体を公募し、300余団体に10数億円が配分されています。

絵入り年賀葉書の発行
昭和57年(1982年)11月5日に初めての絵入り年賀葉書が3種類発行されました。
翌昭和58年(1983年)からは、「全国版」と、発売地域が特定され郷土画家が描いた地方色豊かな「地方版」が発行されました。
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